71年の展望

 

二つの可能性(1971115日 労働者新聞 No.12)(松江 澄)

 

 一九七〇年が去り、一九七一年がはじまった。

 七〇年は政府と「反政府」が随所で対立した年であり、七一年は政府と「反政府」がその指導権を争う年になるだろう。もし意識的に追求すれば現政府を危機に追い込み、新しい七〇年代の端緒がひらける可能性があるが、同時にまた咋年の延長に終始すれば、激発する宇盾が政府と資本の先取りによって吸収され、「安定」した七〇年代の基礎がつくられる可能性もある。

 六九年の反安保闘争は、「危険」を恐れる既成左翼の足ぶみによって回避され、冒険的な「新左翼」の猛進は体制の先制攻撃によって大きな打撃を受けた。

 七〇年は、休制の巧みな誘導と既成左翼の街頭的市民主義、「新左翼」の戦術転換もあって舞台は「安保」から「公害」に移行した。にもかかわらずこの「公害」の中にこそ、現代日本資本主義の最も鋭い矛盾が内包されていた。実に「公害」ほど生産力の発展と現代経済のしくみ、独占資本と国家のゆ着をロコツに露呈したものはない。

 「人間らしい生活を!」「人間らしい生産を!」という声は全国的に湧き起った。戦後民主主義の休制にょる買い取りを超えて新しい「戦闘的ヒューマニズム」の旗印が登場した。それは十九世紀の啓蒙的な人間主義でもなければ、廿世紀の一般ヒユーマニズムでもない。それは公害、交通戦争、過疎等、人間集団をバラバラに切りきざみ、ちっ息するほど圧しつぶし、かすかな「希望」であったマイホームさえ遠慮なくブルトーザーにかける貧慾な「資本」と「国家」に対する、市民と人民の生存をかけた自己防衛の闘いであった。従ってそれはまた、体制の選択に通ずる意味で階級的ヒユーマニズムとも呼ばれるべきものであり、この闘いの先頭にこそ労働者階級は立つべきである。

 しかも、残念ながら昨年の労働者闘争は結局企業のワクの中におしとどめられ、全体としては資本の許容し得る範囲での経済闘争に終わり、激しかった公害闘争も街頭的な市民主義の域

を出なかった。

 七一年の闘いのカギの一つはここにある。

 もちろん、労働者の闘いの主要な陣地は賃金闘争にある。賃金と権利のための闘いを忘れて大衆的な労働者闘争は発展しない。しかし、「上」からの取引きを拒否して徹底した賃金闘争を追求することは、「下」から労働者が職場と生産の主人公になるための闘いと別なものではない。そして労働者が、自らの生活を守る闘いから人民全体の生活を守る闘いへ、また、 「白ら」の人間的な生活を守る闘いから「他人」を傷つけない人間的な生産―それが真の生産だ―のための闘いへと進むときこそ真の指導的階級となることができるだろう。こうした闘いの中からこそ伝統的な企業内主義と労資協調主義は突破されるし、企業内部の経済的な予盾はひら、かれた社会的予盾と結びつくだろう。

 七〇年は沖縄人民の激しい抵抗闘争で終ったが、それは新しい年を通じて日米帝国主義の政治的矛盾としても一層発展するだろう。七〇年代の特長の一つは、政治的矛盾と社会的予盾、また経済的矛盾が次第に接近しもし労働者階級の意識的な指導があれば、すべての対立が関連的に発展し、全人民的に爆発する条件があることである。そうして七一年の課題は、そのほんの僅かな手がかりでもつかみとることにある。そのためにも今必要なことは、今年こそ、こうした闘いを指導できる戦闘的な労働者と住民の集団を形成することであり、形成された集団を一層拡大すると共に、相互に連帯することである。

 職場と地域を基礎とした人氏の自立的な闘いの拠点をつくろう。戦闘的ヒユーマニズムの旗を高くかかげよう。

 七〇年代最初の統一選挙闘争も、こうした闘いと拠点を支えとしてこそ真の戦闘的な議会主義の勝利となるだろう。
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